登山家が残した山にまつわる名言!山が好きなら知っておきたい!

登山家が残した山にまつわる名言!山が好きなら知っておきたい!

登山家は山にまつわる多くの名言を残しています。
「そこにエベレストがあるから」は、イギリスの登山家ジョージ・マロリーが言った有名な言葉です。登山に興味のない人でも知っている、とても格好良いセリフですね。
そんな名言を一つでも多く知っていると、山を登りながら仲間と話すときに会話が弾みますし、時には人生の生き方に迷いや疑問を感じたときに励みや支えになってくれます。

そこで、ここでは、登山家が残した山にまつわる名言を紹介していきます。私が心に残ったものを中心に選んでみました。

プロの登山家・冒険家・探検家の名言の数々

「目の前の山に登りたまえ。山は君の全ての疑問に答えてくれるだろう」
ラインホルト=メスナー(イタリア 登山家)

「私は思い出より憧れの方が好きだ」
ガストン=レビュファ(フランス 登山家)

「征服すべきは山の頂上ではなく、自分自身だ。」
エドモンド=ヒラリー(ニュージーランド 登山家)

「あきらめないこと。どんな事態に直面してもあきらめないこと。 結局、私のしたことは、それだけのことだったのかもしれない」
植村 直己(日本 登山家)

「百の頂に百の喜びあり」
深田 久弥(日本 小説家・登山家)

「自分の能力以上の山は選ばない。他のスポーツなら自分の限界を超えて挑戦することがあるだろう。しかし、山はそんなに簡単な世界じゃない。無茶は死に直結する。」
山野井 泰史(日本 クライマー)

「頂に向かう行動よりも、常日頃の山に対する主義(イズム)こそ大切なのではなかろうか。何事も、思索と実践の合致こそ、この世で最も尊いものであろう。」
高見 和成(日本 クライマー)

「道のありがたみを知っているものは、道のないところを歩いたものだけだ」
大島 亮吉(日本 登山家)

「世の中全てに不可能な領域はある。それを一歩ずつ、登山をするみたいに上がっていけばいい。」
安東 浩正(日本 冒険家)

「(エベレストへ)次に行ったら本当に死ぬという恐怖に囚われながら、じゃあ止めるのか? また何もなかった頃の自分に戻るのか?と考えると、僕にはそっちのほうが怖かった。」
野口 健(日本 登山家)

「何故山に登るのか。その問いに答えてはならない。とにかく登りに行け、とにかく登りに行け」
鈴木 謙造(日本 クライマー)

「物を欲しいと思わぬ我が心の充実は登山だ。」
東浦 奈良男(日本 登山家)

「単独行者よ、強くなれ!」
加藤 文太郎(日本 登山家)

「クライマーという者は、所詮気の弱いロマンチストなのかも知れない」
吉尾 弘(日本 登山家)

個人の個というものを表現したかった
南裏 健康(日本 登山家)

プロスキーヤー・登山家 三浦雄一郎の名言集

日本では知らない人がいないというほど、とても有名なプロスキーヤー・登山家の三浦雄一郎さん。80歳という高齢でありながら、エベレストという過酷な山に挑戦し続ける三浦雄一郎さんが発する名言をいくつかピックアップし紹介していきます。

三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう)とは

三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう)のイメージ

プロフィール

名前三浦雄一郎(みうら ゆういちろう)
生年月日1932年10月12日
出身地青森県青森市
身長164cm

略歴

1962年世界プロスキー選手権で世界8位になる
1964年イタリア開催のスピードスキーで時速172.084キロの世界新記録(当時)樹立
1966年富士山での直滑降を成功
1970年エベレストサウスコル8000m地点からの滑降を成功させギネスブックに掲載
1985年世界七大陸最高峰からの滑降を成功
2003年70歳7ヶ月でエベレスト登頂 世界最高齢(当時)を成功
2008年エベレスト登頂成功(2回目)
2013年80歳でエベレスト登頂 世界最高齢を更新成功(3回目)

2013年に80歳で3回目のエベレスト登頂に挑み、世界最高峰の登頂記録を更新しギネスにも記録された。普通に山に登るだけでもきつい年齢ですが、8000mを超えるエベレストを制覇したスーパーおじいちゃんです。ただ、年少期は、病弱ですぐ風邪をひいたり、軽い運動でも疲れてしまうほどで、よく入院を繰り返していたそう。小学2年生の時に、スキー・登山との出会いがあり、空気のきれいな自然の中で徐々に体力・持久力をつけていったみたいです。今の三浦雄一郎さんからは想像できませんね。

次の挑戦は、85歳でチョ・オユーに登って滑降して、90歳でもう一度エベレストに挑戦するそうです。すごいやる気とメルタルの強さです。夢を追い続けることが、元気の秘訣なのかも。

出典:三浦雄一郎 - Wikipedia

勇気をくれる三浦雄一郎の名言

「エベレストに登るという夢を持った途端、人生が変わった。そして、夢を持てば実現できることを改めて知った」

「夢があるから頑張れた」

「原動力は単純に「やりたい」という気持ちと、やっぱり世界の天辺に登る夢ですよね。夢の力。これが大きいと思います」

「ある意味で死ぬのが一番簡単なんですよ。山へ行っても、もう死んだほうがましと思うほど苦しくなる。でも、そんな簡単な道を選んではいけない。人間、最後の最後まで生き抜いて、最後に笑って死ねればいい。それしかありませんよ」

「心の中でいつも目標を持つことが大切。そうすると怠けていても、やらなきゃいかんなという気持ちがどこかで起きますから」

「人間も国も企業も、夢を持ってチャレンジし続けることが大切」

「老いぼれるのは結局、自分で諦めているんですよ。年を取ると、できない理由ばかりを一生懸命考え始めるんです」

「本田宗一郎さん、佐治敬三さん、盛田昭夫さん、私が会った一流の企業家は、やっぱりみなさん前向きで、上機嫌な人たちだった。そして、年齢に関係なく何かを追い続ける生き方は、全員に共通していたと思います」

「人間はいくつになっても、可能性がある!」

「地球はおれの遊園地だ」

登山家 栗城史多の名言集

こちらも有名な登山家。8度目となるエベレスト登山の下山中に、35歳という若さで亡くなった栗城史多さん。見た人すべてにチャレンジして欲しいという思いから、自身の登山を生中継しながら山に登っていた。栗城史多さんが残した名言をいくつかピックアップして紹介していきます。

栗城 史多(くりき のぶかず)とは

栗城 史多(くりき のぶかず)のイメージ

プロフィール

名前栗城 史多(くりき のぶかず)
生年月日1982年6月9日
出身地北海道瀬棚郡今金町
身長162cm

略歴

2004年6月単独で北米最高峰マッキンリー6,194m登頂(その後6大陸の最高峰を登頂)
2008年エベレストの生中継登山「冒険の共有」に向けた配信プロジェクトを開始
2009年ダウラギリ(8,167m)の6,500m地点からのインターネット中継と登頂に成功
2012年秋エベレスト西稜で両手・両足・鼻が凍傷になり、手の指9本を失う
2014年7月ブロードピーク(8,047m)に単独・無酸素で登頂し見事復帰

批判も多かった栗城史多さんの単属・無酸素登山でしたが、両方の指9本を失ってもエベレスト登山に挑戦をしました。YoutubeやAbemaTVなどのインターネット中継で、自身のチャレンジを共有しながら登山を行うスタイル。その姿は見たすべての人に、チャレンジする力を与えてくれるもので、多く応援する人も多くいました。
栗城さんが亡くなられて、改めて山への厳しさを感じるとともに、多くの人に影響を与えた人であった。

出典:栗城史多 公式サイト

魂を激しく揺さぶる栗城史多氏の名言

「山はいつも、自分が完全ではないということを教えてくれる。だから僕は何度でも山を登る。少しずつ成長するために。そして生きるために」

「成功とか失敗とかを超えた、困難への挑戦にこそ意味がある」

「人って、チャンスの在りかをいろいろ考えますけど、諦めないことがチャンスを引き寄せる要」

「本当の失敗って、何もしないことだと思います。人間、挑戦しないとどんどん衰えていきますから」

「できるかどうかわからないことに挑むからこそ、達成することに価値を感じられる」

「人は誰もが冒険し、見えない山を登っている。夢を否定しないで自分の中にあるエベレストに一歩踏み出す人を増やすこと。それが僕の冒険です」

「人生は不安など宿題が大きいほうが、たどり着いた答えは絶対に面白いものになります。そういった意味では、いつだって苦しみに感謝、ありがとうです」

「成功だけじゃない。僕は失敗や挫折も共有したい」

「成功者の話よりも、今何かを目指している人の話を聞きたい」

「 5年後とか、10年後とか。想像するのは難しい。それよりも、目の前にある山を登って、そこから見える景色を見て、次を考えるようにしている」

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てくてくの人
登山・ハイキングが大好きです。約8年間、月1〜2回のペースで、夏も冬も山に遊びに行っています。そんな自然の中で経験した登山を楽しんだり、ちょっと知ってよかったと思える情報をゆるりとお届けしています。